リーダーシップと聴くと、ついつい周囲を引っ張って行くイメージがあります。何故だろうか?と考えてみました。

一つには、そのようなヒトが、善し悪しは別として目立つということがあると思います。また、人間には多くの場合、“誰かに何とかして欲しいな”といった、救世主待望論のような感覚があるからではないかと思います。(下記引用参照)このことは、“誰か自分以外の人や神仏が良くしてくれる”という潜在意識がおおよそ万人共通であることを推定させます。

しかし、ではそのような思想で世界が平和になったかというと、そうではないです。依然として、貧困・戦争は一定程度で起こっています。

そこで、“セルフリーダーシップ”が重要になってくると思うのです。私は、BBT大学院という大学でMBAをとった経緯などから、現在BBT大学でセルフリーダーシップ(ちゃんとした単位です)のラーニングアシスタントをやっています。その中で感じることは、“どこまででも自分は成長できるんだな”ということです。そして、本当に自分をリードできれば、大宇宙の法則(?)にて自然と周囲が協力してくれるようになる、ということが見にしみて感じます。これは、座学での知識ではなく、実生活における智慧ということを実際に感じています。

私は無宗教ですが、日々瞑想をして内面を見つめる努力はしていますが、なかなか面白いものです。興味がある方は、是非、瞑想に限らずベクトルを内側に向けるということを試みてください。思っている以上に、世界が開けてくると思います。

〜引用~

http://agora-web.jp/archives/2026300.html

時代が閉塞感に包まれ、停滞し出すと、それを打ち破り、新しい時代を切り開く人物の出現を求め出すものだ。それは政治、経済、社会、文化、宗教など各分野でみられる。

「メシア待望」はユダヤ教とキリスト教だけの専売特許ではない。アブラハムから派生したもう一つの唯一神教、イスラム教でもマフディーと呼ばれる第12代のイマーム(救世主)、ムハンマド・ムンタザルが人類の終末の時、再臨すると信じられている(シーア派分派の中やスンニ派はムハンマド・ムンタザルをマフディーと信じていない)。

興味深い点は、仏教や儒教でも終末の時(末法の世)、救世主的存在(例・弥勒菩薩)が出現すると記述されていることだ。世界宗教には表現こそ異なるが、人類の救い主の降臨(再臨)が明記されている。そして21世紀の今日、「メシア」待望、「強い指導者」出現を求める声が出てきているわけだ。

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