話題になった話なのでご存知の方も多いかもしれませんが、サッカー界のトップ選手であるクリスティアーノ・ロナウドが来日したときのエピソードです。
(2018/4/15 Kazu)
映像はこちら(https://www.youtube.com/watch?v=4wdv8e-a2WA)。
日本で開催されたイベントで、少年がたどたどしいポルトガル語でロナウド選手に質問するという場面。
ここで会場から笑いが起こります。それに対してロナウド選手はまじめな顔で”なぜ笑うんだ?”で問うています。
日本人の感覚として、少年が一生懸命話していることは理解するが、なんとなくそれを笑ってしまう。
特にネガティブな気持ちを持っているわけではなく、逆にほほえましいとか頑張ってるねという気持ちを持って、そのような反応になっている部分もあるのだと思います。
実は私もこの映像を見たときに似たような感覚を持ちました。
しかしその後にネットでみた意見によって考えが変わりました。

そこで書かれていたのは、外国人の彼女をもつ日本人男性のエピソード。
たどたどしい日本語を話す彼女に対して笑いを浮かべる彼の態度は、彼女にとってバカにされているような気分になると言われたのだとか。
言われてみると、自分が英語を頑張って話している状況において、笑われたらどんな気持ちになるのか?と考えたら、やはりいい気はしません。
あるいは自分の目上の人がたどたどしい英語を話している場面で笑うのか?と言うと、多分笑わないでしょう。
ではなぜ相手が少年だと笑ってしまうのか?
それは自分が相手を見下しているという意識なのかもしれません。
そう考えると少年を笑う人たちと同じ感覚を持った自分を反省しなければなりません。
ましてや自分は全く話せないポルトガル語を少年は一生懸命伝えようと話しているわけです。
それを笑うといのは、ほほえましいなどという言い訳は全く通じず、おごりでしかないのだと気付かされました。
LAP(Leadership Action Program)の中でも、日本人は議論する場面において変に笑いを浮かべるという指摘がされています。
つまり日本人の笑うという行為が実はグローバルではおかしいということなのだと理解しました。
たしかに海外の人との会議の場面で、変に笑う人(日本人)というのが気になったことがあります。
苦手な英語を話していることの照れ隠しみたいな意味合いがあるのだと思いますが(この少年のケースとは少し違いますが)、まじめな話をしているビジネスの場面では少し違和感を覚えました。

ところでロナウド選手は多くのサッカー選手がタトゥーを入れている中で彼は入れていません。
(これも有名な話かもしれませんが)その理由は献血をするためなのだとか(タトゥーを入れた人は一定の期間は献血を行うことができないそうです)。
サッカーだけでなく人として一流なのだと感じさせます。

話は戻りますが、人が一生懸命何かをやっていることを笑うというのは仮に相手が自分より立場的に下の者であっても笑うというのはやってはいけないことなのだと思います。
(そもそも下の人間という考え方が間違っているのかもしれません)
ある意味でグローバルリーダーにとっての常識なのかもしれませんが、それをこの少年とロナウド選手の対応から学ばされました。

“人を笑うということ” への2件のフィードバック

  1. 「下の人間」

    この「下」が気にくわないので、私は使わないようにしています。
    「2こ下」なんて「2学年分だけ後に生まれた」だけ、「10こ上」も「10学年分だけ先に生まれた」だけ。
    上下だけではなくて、先か後か。

    確かに、会社的なヒエラルキーの中にいる人間と、そうでない人間とで、意識の違いはあると思いますが、
    個々の人間が対等に存在するこの会見のような場には、ヒエラルキー人間はお門違いなのかもしれませんね。
    「そうでない」世界は、どんなものなんでしょうね~

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