振り替え休日の12日、久しぶりに母校の小中学校周辺を散歩した。中学校はその後移転したけれど小学校は同じ土地にあり、今は小中2校分の敷地を贅沢に使っている。私の在校時には関東大震災復興で建てられた分厚い壁の校舎だったが、今は現代風のきれいな建物に建て替えられている。学校は横浜開港地の外側にあり、異人さんたちの散歩道だったらしい。

その学校に、私は小学校か1年から中学3年までずっと電車通学していた。今は横浜の郊外から都心まで通勤しているため、開港地の方角に行くことは滅多になく、母校まで行ったのは7,8年ぶりか。

なぜにせっかくの休みの日にそこまで行ったのか。自分で計画したと言うよりは、滅多にない自由な時間に、心の中から「あそこに行こう」と呼びかけがあったみたい。LAPを勉強してBEを考え、また「人生百年時代」に備えて自分の方向をどう進めるかを思案しているときに、自分の来し方を思い出せ、という無意識からの指示なのか。

という大げさなことは別として、夕映えの中を歩く。校舎は建て替えられ、校門は堅くしめられ校庭には入れない。でも敷地を回る道路と空間は○十年前と同じ。道路沿いの家は変わっているけれど、港の方を見渡せる展望と空は同じ。そうそう、5年生の時にクラスの問題を話すために下校後にみんなでこの空き地に集まったな。この小道を上り下りしたんだ、小学校の入学の時、母に連れられてこちらの門から入ったら桜が満開だったなあ、中学校卒業の時に別の高校に行く友人とここでさよならしたんだな。

小中学校の時、というのは誰にとっても自分の原点。自分は「将来は考古学者になりたい」などと書いていた。けれど大人の世界など、当時の自分にとって非現実的だった。
なのに、今学習しているBBTの講座では、小学校の時から将来の目標を明確に考えているイチロー選手や大谷翔平選手の例が出てくる。講師は、スポーツ選手に限らず、またとっくに大人になった人も、これからの人生を進んでいくためには、人生の目標を定め、いつまでに何をするのか、何がほしいのかを、その時点でわかる範囲で設定していくことが必要という。
確かに、自分のしたいこと、環境、行動を考えないでは、これからの長い人生を楽しめず「何のために生きたんだろう」とぼやくことになってしまう。そう、人生70年の時代なら定年後をそれほど考えなくてもよいかもしれないが、今の時代、自分がどうあるべきかをもっときちんと考えなければいけない。

大人になってから私はそれなりに「自分のやりたいこと、そのための準備」はしてきたつもりではあるけれど、それは短期の戦術にすぎず、一生をとらえた戦略やそれを可能にする長期的な能力開発や資金力形成はしてこなかった…。

このように母校の周りの歩き、当時の自分のことを思い出しながら、その後の何十年かの間に自分が得たり失ったいろいろなアセットを頭を巡らし、これからのことをもっと明確に考えてみよう、と思った。

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