このブログはLAP(Leadership Action Program)という講座で共にリーダーシップについて学んだメンバーで、リーダーシップの実践について書いていこうという趣旨で始めました。

(2017/7/9 Kazu)

まずはじめに、私自身のこれまでのキャリアについて、そしてなぜリーダーシップを学ぶのか、これからどうしていきたいのか、などについてを今後書いていきます。

最初に自分のキャリアの振り返りですが、私の大学時代はいわゆるバブル時代、その後に会社に入る頃にはバブルがはじけていたわけですが、まだ世の中はかつての高度成長時代を引きずった年功序列・終身雇用の時代だったと思います。

そんな中で、私の思考も大きい会社に入ったらあとは安泰といった”寄らば大樹”的な、今考えるとあり得ない考えを持っていました。そんなわけで就職したのは旧財閥系の名前が付く製造業。そのままずっとこの会社で生きていくんだろうなとなんとなく思っていたのだと思います。

そのような感じで会社生活をスタートさせましたが、これまでにキャリアのおける3つの危機を感じました(3つ目は現在進行形)。というわけで、今日はまずは第1の危機について書いてみます。

寄らば大樹という今ではあり得ない自分の考えを変えざるを得なくなったのは1997年のこと。その年に山一證券と拓銀が経営破たんという大きなニュースがありました。これはもう日本中で大騒ぎ感がある大きな出来事でした。

このときに日本社会における旧来の価値観が崩れ、いわゆる一流大企業は潰れないという神話が無くなったのと同時に自分の考えていた寄らば大樹という発想が幻想であったと気付いたときでした。

世の中においても、自分の中でもパラダイムが変わった瞬間と言えるかもしれません。

その年は入社して研究・開発の仕事から(自分の希望もあり)工場での量産設計に異動した年でもありました。地方の工場での仕事は、仕事の大変さに加えて上の人達の古い体質に色々疑問を感じ始めた頃でした。

その古い体質というのがどういうものかというと、上の人達の言うことは精神論のみ。

どんな状況でもとにかく”頑張れ”、これしか出てこない、、、(^^;

当然ですが、こっちは日々サービス残業なども厭わず頑張っているわけです。

そんな中でも業績が悪くなると、我々は集められて管理職がずらって前に並んで、一人ひとりから”頑張れ”という有り難いお言葉を頂戴するわけです(笑)。

さすがにこんなことが重なり、3回目に自分の所属する部長の口から”頑張れ”という言葉が出てきたには私も我慢が出来ず、ついつい

“頑張れと言いますが、我々は既に頑張っています、これ以上頑張れというなら具体的にどうするのか教えて下さい”

などと生意気な口を叩いてしまいました。で、そのとき部長は黙り込む始末、、、この会社は早めに辞めた方がいいなと悟った瞬間です。

他にも私が嫌いな体質として、酒を飲むのも仕事の延長という文化がありました。地方の小さい街ということもあり、仕事の後は会社の人達で集まって飲むのが普通だったようです。

私はあまり酒を飲めないというのもありますが、この古い体質の方々と一緒に飲むのが大嫌いでした。なぜならそこで話されるのは、自慢話と人の悪口だからです。
“俺はこんなにすごいぞ”、とか”あいつはダメだな”みたいな話の応酬です。

他の話題は無いんかい?と突っ込みたくなるのですが、下っ端の私としては黙って聞いてるのみです。

こんな飲み会に金を時間を使うのがもったいないといつも感じていました。

そんな体質の古さに加え、やっている仕事もかなり技術的に枯れたもの。多分このままでは競争力が無いだろうなと思うのと同時に、そこでエンジニアとして働いていては自分のキャリアに明るい未来がないと感じていました。

そしてこの会社で年を取ったらあの古い体質の方々のように、頑張れ、俺はすごい、あいつはダメだ、みたいなことしか言えないおじさんになってしまうのかと思うとぞっとしました。

 

というわけで、これが私にとってキャリアにおける1つ目の危機で、30歳になる前でした。

とにかく仕事は忙しい上に、仕事の問題はしょっちゅう起こるし、会社の体質は上記の通り。

このままではまずいと思いながらも、忙しい上に地方ということもあり転職活動ということもほとんど出来ず。

それよりもそもそもエンジニアとして付加価値の高い仕事ではなかったと思うので、この技術で転職なんて出来るんかい?と悩みながら日々過ごしていました。

で、気付くと30歳を超え、更に焦りが募るわけです。。その危機意識に対する方策として私が考えたのは、会社を辞めてアメリカで勉強といういわば暴挙です(笑)。

とにかくまともに転職しようと思っても思うような転職が出来そうにない。

 

そこで考えたのは、エンジニアもこれから英語力を問われるだろう(当時はまだ今ほどグローバル化といったことは言われてなくて、その会社の中では英語の出来るエンジニアというのはレアでした)ということから、英語の勉強といういわばキャリアにおける逃げの選択をしたわけです。

 

もともと英語が出来るわけでは無かったのですが、それまでに2~3年英語学校に通って勉強して少しは出来るようになったくらいのレベル。

本当は正規の留学が出来れば良かったのでしょうが、そんな能力も無ければ資金も無いので、1年間のなんちゃって留学(またの名を遊学)に行くことに決めたわけです。

 

その決意をしたら心は晴れ晴れです(笑)。この会社とおさらば出来ると同時に自分の新しいキャリアが開けるというかなり楽観的な気持ちでした。

周りにそのことを伝えるとかなり驚かれるのと同時に”いいなあ、うらやましい”とか”そんな選択があるんだ”と概ねポジティブな反応。

しかし次の仕事を決めずに会社を辞めるというのは日本の社会においてリスクなわけで、アメリカに行くといっても中途半端なプログラムで勉強するわけですから、”お前のその後の人生は大丈夫なの?”と内心で思っている人も少なからずいたのだと思います。

この後にちゃんと次の仕事を見つけたのか?といった話から、第2、第3のキャリアの危機についてはこの後に書いていきます。

“キャリアの危機(第1回)” への2件のフィードバック

  1. Kazuさん

    苦しかったキャリア上の秘話をさらけ出してくれて、ありがとうございます^ ^
    山一証券のニュースは私も記憶にあるので、Kazuさんが激動の中で大きな決断をされてきたことがよく伝わってきました。

    TS

  2. 私の周りにも、先々のキャリアに不安をおぼえる社員が多数います。
    20代後半や30代前半ぐらいの者が多い印象です。
    悩む彼らのうち行動に移す者が一部いますが、ビジネススクール・英会話といった自己研鑽や異動希望などが多いです。

    目先の仕事を一緒に頑張ろうという言葉は彼らに響きません。
    この先の長いキャリアに向けて、少しでも武器を増やしたいと考える者にとって、会社が期待する仕事が退屈に映ることが続けば、「それはオジサン逹でやってよ」となるのは当然かもしれません。

    人生100年時代。オジサンもキャリアは長い。
    同じ気持ちで武器を増やす自己研鑽と会社で果たすべき自身の責任の両方をバランスさせねばと思います。

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