明治時代の父親のイメージは、“気高く尊敬されるような強さ”を持った男性像がなんとなくの理想とされてきたように思う。これは、家父長制が背景にあると思われる。
“男らしさ”を3つの共通する要素として捉える見方がある。力(優越思考)・権力(権力志向)・所有(所有思考)で、優越志向とは、他者にたいして優越したいという欲求であり、権力志向とは、自分の意志を他者に押し付けたいという欲求であり、所有志向とは、できるだけ多くのモノを所有し確保したいという欲求である。
現在はどうであろうか?育メンという単語が広まりつつあり、“子育ては両親でやっていくもの”という考えが少しずつ浸透してきたように感じる。もちろん、現代の日本はものがあふれており、そしてSNSにて急激に情報共有がすすんでいるため、単純に優劣をつけることはできないが、父親イメージは大きく変化している気がする。私は、そちらの意見に共感できるので、そのような言動を心がけるようにしている。もちろん、3歳くらいまでは母性がより重要であり、愛情欲求の充足はとても大二である。この段階では、父親の役割はどちらかというと遊び相手であるのかもしれないが、それでも積極的に子供と時間を過ごすことはとても大切であると感じている。最近は、仕事にいく前にだっこをしていて、子供から離れると、泣き出す子供をみてとてもいとおしく感じる。もちろん、妻を大切にしていることは言うまでも無い。こまごまとした、小競り合いはあるものの。
家庭内では父親のリーダーシップとは、“妻のサポートをしつつ、子供の重要な遊び相手としての役割”を果たすことであると感じる。
どうしても、職場での役割と大きくことなる側面があり、以前は変身が困難な局面はあったが、今は、その役割のほうが家族全体の空気がよくなることを実感している。
=参考=
日本における父親の権威
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjahee/41/2/41_KJ00001678610/_pdf
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